職種名
本間 幸紘
会社を「家」と呼ぶ理由――
変わり続ける経営者・
本間幸紘の選択

17歳で父になることを知った日、本間幸紘の人生は大きく動き始めた。
家族を守るために働き、技術を磨き、「必ず独立する」と決める。
やがて会社を立ち上げ、ロープアクセスという新たな挑戦で、
仕事の形そのものを変えていった。
しかし、その歩みは決して一人で築いたものではない。
苦しい時期に仲間に支えられ、本間は気づく。
会社は「家族」ではない。
けれど、安心して戻ってこられる「家」のような場所にはなれるのだと。
守る責任を知った17歳の少年は、技術を磨き、仲間とともに「家」を築いた。
そして今もまた、その「家」を支えに、新しい挑戦を続けている。
これは、その歩みの物語である。

第1章 守るものが、生きる理由になった
17歳で初めて塗装の現場に立った日、本間幸紘は二つのことを心に決めていた。
一つは、必ず独立すること。
もう一つは、そのために必要な技術をすべて身につけること。
まだ仕事を始めたばかりの少年が、そこまで先を見据えていたのには理由がある。
子どもの頃、本間は学校にも家庭にも、自分の居場所を見つけられずにいた。
一方で、幼い頃から当たり前のように身についていた感覚がある。
「困っている人がいたら助ける。」
生まれつき足の不自由な母を見て育った本間にとって、
それは誰かに教えられた道徳ではなく、日々の暮らしの中で育まれた価値観だった。
将来の夢があったわけではない。
やりたい仕事が決まっていたわけでもない。
人生が大きく動いたのは、17歳のときだった。
子どもを授かったのである。
お互いに、「産まない」という選択肢は考えなかった。
守るべき存在ができた。
その瞬間、本間の中で「働く理由」がはっきりと形になった。
家族を守っていくには、自分の力で生きていかなければならない。
「仕事をしなきゃ。」
ちょうどその頃、友人の一人が塗装会社で働いていた。
本間は紹介を受け、塗装の世界へ飛び込む。
ただ、それは本間にとってゴールではなかった。
必ず独立する。
人の下で働き続ける人生では終わりたくない。
自分の力で道を切り開き、自分で仕事をつくっていく。
新しいことに挑戦しながら前へ進む方が、本間の性に合っていた。
現場では、とにかく貪欲に吸収した。
塗装だけではない。
先輩の仕事ぶりも、段取りも、現場で覚えられるものは何でも自分のものにする。
塗装の仕事と一口に言っても、戸建て住宅、ビル、大型建築、店舗内装など、
それぞれ専門分野が異なる。
一社に勤め続けるだけでは、独立後に必要な力は身につかない。
本間は目的を持って会社を渡り歩き、そのたびに新しい技術を覚えていった。
「戸建てはできても、ビルは分からないだろ。」
そんな言葉をかけられるのが悔しかった。
だからこそ、一つでも「できない」と言われる仕事をなくしたかった。
その積み重ねが、やがて揺るぎない自信へと変わっていく。
「自分よりできる職人は、一人しか知らない。」
そう言えるところまで、本間は技術を磨き上げた。
そして2006年、個人事業主として独立。
17歳のあの日、現場で静かに決めた目標は、着実に現実になっていった。

第2章 技術は磨けても、「下請けの壁」は越えられない
独立後、本間の仕事は着実に広がっていった。
技術には自信があった。
現場で求められる仕事を確実に仕上げ、信頼も少しずつ広がっていく。
仕事は途切れることなく増え、戸建て住宅を中心に、多くの現場を任されるようになった。
やがて職人も増え、事業は少しずつ大きくなっていく。
2015年には株式会社明誠を設立した。
個人から法人へ。
会社という形になり、守るものも、背負う責任も大きくなった。
しかし、会社になっても変わらないものがあった。
仕事の多くは、元請け会社から依頼を受ける下請け工事だった。
求められた仕事を確実に仕上げる。
技術を評価され、次の仕事につながる。
その繰り返しだった。
もちろん、その仕事に不満があったわけではない。
建物がきれいに生まれ変わり、お客様に喜んでもらえることは、
この仕事の大きなやりがいだった。
ただ、その喜びを直接受け取る機会は多くなかった。
本間が向き合う相手は、あくまで元請け会社であり、
その先にいる建物のオーナーや住民と話す機会は限られていた。
「下請けではなく、お客様と直接契約したい。」
思いは、仕事を重ねるほど強くなっていった。
そのためには、仕事の構造そのものを変えなければならなかった。
技術だけでは越えられない壁がある。
会社として次の景色を見るには、新しい挑戦が必要だった。
第3章 届かない相手に、届く仕事へ
ロープアクセスという転換点
そんな中で出会ったのが、「ロープアクセス工法」だった。
足場を組まず、ロープを使って高所作業を行うこの工法は、
それまでの現場の常識とは大きく異なっていた。
単なる新しい技術ではない。
本間には、仕事の届き方そのものを変える可能性があるように思えた。
これまで戸建て中心だった領域から、ビルや大型建築へ。
そして、元請けを通さず、オーナーや管理組合と直接向き合う仕事へ。
ロープアクセスは、その可能性を現実へと変える技術だった。
しかし、本間自身も最初から確信していたわけではない。
兄が高所作業中の事故で重い後遺症を負った経験があった。
「本当に安全なのか。」
その疑いは、人一倍強かった。
それでも実際に講習を受け、自分の体で確かめると、印象は一変する。
昔の高所作業とは、安全に対する考え方も技術もまったく違っていた。
「これがあれば、今まで営業できなかったビルのオーナーにも提案できる。」
その確信が、本間の背中を押した。
だが、社内の反応は厳しかった。
「どうせやるのは俺たちでしょ。」
職人たちから返ってきたのは、不安と反対の声だった。
その中で、最初に「面白そうですね」と前向きに取り組んだのが谷口だった。
結果として、その存在は大きかった。
時間をかけながら、少しずつ現場は変わっていく。
完全に切り替わるまでには、およそ二年。
新しい工法を身につけるだけではない。
仲間たちは試行錯誤を重ねながら、それぞれが現場で考え、
動く力も少しずつ身につけていった。
都内には、構造上の制約や周辺環境の問題で、
何十年も修繕できずにいる建物が少なくない。
足場が組めない。
隣地の許可が得られない。
さまざまな理由から、手をつけられずにいた建物がある。
そうした現場に対して、
「ロープならできます。」
そう提案できるようになったとき、仕事の意味は大きく変わった。
「どこに頼んでも断られたのに、明誠さんに会えてよかった。」
そんな言葉が、少しずつ積み重なっていく。
ロープアクセスは、単なる新しい工法ではなかった。
会社の立ち位置そのものを変えた、大きな転換点だった。

第4章 支えられて気づいた、「家」という場所
ロープアクセスによって会社が新しい一歩を踏み出した頃、
本間自身は家庭で大きな試練に直面していた。
妻が体調を崩し、一時は三人の子どもを育てながら、
仕事も家庭も一人で背負う日々が続いた。
仕事から帰宅後は元気な子どもたちと激しい遊び相手になることも。
仕事に十分な時間や気持ちを向けられない日もあった。
気づけば、誰かが説明を引き受け、誰かが段取りを整え、
現場は何事もなかったように前へ進んでいた。
そのありがたさを、本間が実感したのは少し時間がたってからだった。
振り返れば、あの頃は本当にみんなに助けられていたのだと思う。
ありがたかったのは、仕事を代わりに引き受けてもらったことだけではない。
自分が苦しい状況にあることまで、そのまま受け止めてもらえたことだった。
「こんなことがあってさ。」
「いま、本当に大変なんだよ。」
そんな話も、隠さずにできた。
誰かが深く踏み込んでくるわけではない。
「そういう時もありますよ。」
その一言だけで十分だった。
無理に励ますでもなく、気を遣いすぎるでもなく、ただ自然に受け止めてもらえる。
気づけば、仕事の話だけではなく、家庭のことも自然と話題にしていた。
ときには、本当の家族にも話しにくいようなことまで口にできた。
そんな関係を、本間はそれまでの人生で経験したことがなかった。
それまでは、「代表だから、自分が何とかしなければ」と思っていた。
けれど、そうではなかった。
苦しい時は、一人で背負わなくていい。
そう思えるようになった。
事務所は、戸建て住宅をリフォームした建物だ。
仕事を終えて戻ると、現場の報告をしながら笑い声が聞こえ、
事務員も職人も交えて他愛のない会話が続いている。
そんな何気ない時間が、明誠の日常だった。
本間は、会社を「家族」とは呼ばない。
一人ひとりには、それぞれ帰る家庭があり、それぞれの人生がある。
だから、家族という言葉は少し違う。
それでも、ふと振り返ると、
この場所は「会社」という言葉だけでは言い表せなくなっていた。
挑戦するときも、思うようにいかないときも、気づけばまたここへ戻ってくる。
本間にとって明誠は、いつしか「家」のような存在になっていた。

第5章「家」があるから、今日もまた挑み続ける
ロープアクセスの導入によって、明誠の仕事は大きく変わった。
戸建て中心の下請けから、ビルや施設へ。
そして、元請けとして直接依頼を受ける仕事も増えていった。
それは仕事の幅が広がっただけではない。
困っている建物に対して、自分たちから提案できる会社へ。
仕事との向き合い方そのものが変わっていった。
「どこに頼んでも無理だった。」
そう言われていた現場が、「明誠ならできるかもしれない」と変わっていく。
その積み重ねが、会社の新しい強みになっていった。
いま本間が見据えているのは、その先にある未来だ。
ロープアクセスという技術を、より多くの地域へ広げていくこと。
フランチャイズ展開という新たな挑戦も、その一歩である。
さらに、本間は東京の建設業界をリードする存在になりたいと語る。
大きな目標かもしれない。
しかし、それは突飛な夢ではない。
17歳で「必ず独立する」と決めた日から、本間はいつも、自分で道を切り開いてきた。
前例のないことにも踏み出し、新しい仕事をつくっていく。
それが、本間幸紘の生き方なのだ。
そして、「家」のような場所になった明誠があるからこそ、また次の挑戦へ進める。
戸建てからビルへ。
下請けから提案へ。
守る責任を知った17歳の少年は、家族を守り、技術を磨き、
仲間とともに「家」を築いた。
そして、その「家」があるからこそ、
本間幸紘は今日もまた、新しい道へ踏み出していく。





