職種名
谷口 智之
「施工を任せる」から「未来を任せる」へ
――信頼のリレーをつなぐ
谷口智之

「ウチで智之がやってダメなら、誰がやっても一緒だ」
クレーム対応に追われ、自信を失いかけていたとき、本間社長がかけた言葉だ。
高校を中退し、建設業界へ入った谷口は、
転職を繰り返しながら「ちゃんとした会社で働きたい」と考え、
2015年に明誠へ入社。
しかし、待っていたのは厳しい現実だった。
毎日のように叱られ、社長への報告電話に緊張し、失敗を重ねていく日々。
今、谷口は工事部の責任者として、
会社全体の安全管理やルールづくりを担う。
任されることで成長してきた男は、今、任せることで人を育てている。

第1章 人生を変えた、あの日の面接
花小金井駅近くのジョナサン。
2015年、谷口智之は少し緊張しながら店のドアを開けた。
「ちゃんとした会社に入りたい。」
そんな思いで選んだのはスーツだった。
少しでも誠実に見てもらいたかった。
ただ一つだけ、当時の自分らしさを残したまま。
耳には大きなピアスを付けていた。
その姿を見るなり、本間社長は笑った。
「お前、何でそんな格好してるの?」
スーツを着ているのに、耳には存在感のあるピアス。
履歴書には「御社で技術を習得し——」と優等生のような志望動機を書いた。
ところが面接が始まって5分もしないうちに、
本間は「谷口さん」ではなく、「智之」と名前で呼び始める。
「智之、いいね。」
初対面とは思えない距離の近さに、
「この人、距離感すごいな」と驚いたことを今でも覚えている。
この出会いが、谷口の人生を大きく変えることになる。
第2章 「ちゃんとした会社」で働きたかった
谷口が建設業界に入ったのは、高校を中退した直後だった。
母の実家が建設業を営み、小さな頃から職人たちに囲まれて育つ。
高校へ進学したものの学校生活になじめず、間もなく中退。
その後、叔父が経営する建設会社で働き始めることになった。
だが、身内の会社という環境は、若かった谷口を甘えさせた。
朝起きられない。
仕事へ行かない日もある。
やるべきことから逃げてしまう。
そんな谷口を見かねた叔父の勧めで、身内を離れ、別の塗装会社へ移ることになった。
身内ではない環境は厳しかった。
その分、仕事も覚えた。
塗装という仕事は面白い。
建物がきれいに生まれ変わる達成感もあった。
「この仕事で食べていこう」と思えるようになっていく。
一方で、働く環境には恵まれなかった。
人間関係に悩んで退職した会社もあれば、給料日に給与が支払われない会社もあった。
安心して働き続けられる職場を見つけたい。
その思いは次第に強くなっていった。
24歳のとき、谷口は決めた。
「ちゃんとした会社で働こう。」
インターネットで「小平 塗装」と検索し、いくつかの会社を調べる。
目に留まったのが明誠だった。
賞与がある。
社会保険も整っている。
ホームページもしっかりしている。
当時の建設業界では、それだけでも十分に「ちゃんとした会社」だった。
こうして谷口は、ジョナサンで本間社長と向き合うことになる。
ところが、ようやく見つけたその会社で、自分の力の足りなさを思い知る。
塗装職人として十年近く現場を経験し、「それなりにはできる」という自信があった。
しかし、その自信は入社初日から崩れていく。
明誠の仕事は、ただ塗るだけではなかった。
工程を考える。
職人を動かす。
材料を管理する。
お客様へ説明する。
次の工程を読む。
現場全体を見ながら仕事を進める必要があった。
これまで自分が見ていたのは、仕事のほんの一部分だったことを思い知らされる。
毎日、現場が終わると本間社長へ電話をかける。
日々の進捗を報告するためだ。
「あと何日で終わる?」
「材料は足りる?」
「次はどうする?」
答えられない。
考えていなかった。
沈黙すると、「お前、何も考えてないな」と返ってくる。
電話をかける前には、必ずメモ帳を開いた。
今日やったこと。
残っている作業。
必要な材料。
翌日の予定。
思いつく限り書き出し、深呼吸してから発信ボタンを押す。
それでも足りない。
街で本間社長と同じ車を見かけるだけで、「ああ、また怒られる」と思うほどだった。
それでも辞めようとは思わなかった。
厳しい。でも、本気で仕事を教えてくれる。
この会社なら、自分はもっと成長できる。
毎日怒られ、毎日失敗し、それでも翌日にはまた現場へ向かった。
一つ失敗して、一つ覚える。
積み重ねが、谷口を少しずつ変えていった。
そしてある日、本間社長の一言が、谷口の歩みを大きく前へ進めることになる。

第3章 任されることで、人は育っていく
現場で経験を積み重ねるうちに、谷口は少しずつ難しい仕事も任されるようになっていた。
それでも、自分の技術に絶対の自信があったわけではない。
まだ経験豊富な先輩がいて、自分はその背中を追いかける立場だった。
そんな頃、一つの現場で、お客様から仕上がりについて何度も指摘を受けた。
最初は若手の職人が対応したが、納得してもらえない。
次はベテランの先輩が現場へ向かった。
しかし、それでも状況は変わらなかった。
最後に本間社長から声がかかった。
「智之、行ってきて。」
谷口は現場へ向かい、できる限りの対応をした。
それでも、お客様の反応は変わらない。
会社へ戻る足取りは重かった。
しかし、報告を聞いた本間社長は、少しも責めなかった。
「ウチで智之がやってダメなら、誰がやっても一緒だ。」
思わず顔を上げた。
本間は続ける。
「智之が行った。それでダメなら、それ以上はない。」
「俺は信じてるから。」
あの言葉は、今でも忘れられない。
落ち込んでいる部下を励ますための言葉だったのかもしれない。
谷口には、それ以上の意味を持つ言葉だった。
「施工は智之に任せる。」
本間の思いを、初めて受け止められた気がした。
そして、あの一言以来、失敗の意味が変わった。
失敗しない人になることではない。
同じ失敗を繰り返さない人になること。
それが成長なのだと思えるようになった。

第4章 「やりたくない」が挑戦の始まりだった
谷口が明誠へ入社して数年が過ぎた頃、会社は新たな挑戦を始める。
ロープアクセス工法の導入だった。
建物の屋上からロープで降下し、外壁の補修や塗装を行う工法である。
足場を組めない場所でも施工でき、建物を利用する人への負担も少ない。
一方で、高度な技術と徹底した安全管理が求められる仕事でもあった。
「絶対にやりたくない。」
高い場所が得意ではないという理由もある。
これまでのやり方を変える必然性も感じられなかった。
現場でも同じ空気があった。
「俺たちは塗装をやりたくて入ったんだ」
「なんでロープなんだ」
谷口も同じ思いを本間社長にぶつけた。
「やりたくないです」
すると本間は、感情では返さなかった。
「なんでやりたくないんだ?」
「このままだったら会社はどうなる? お前はどうなる?」
問いかけを重ねられるうちに、反論は次第に薄れていく。
やがて観念するように言った。
「……分かりました。やります。」
こうしてロープアクセスは始まった。
最初の頃は、技術も十分とは言えず、恐怖心の方が大きかった。
それでも現場を重ねる中で、少しずつ見え方が変わっていく。
足場を組まなくても対応できる工事がある。
必要な場所だけを効率よく施工できる。
これまで諦めていた現場にも、新しい選択肢が生まれる。
「これは結構いいかもしれない」
そう思えるようになっていった。
やがて会社は、専門家から本格的に技術を学ぶ体制を整えていく。
その過程で谷口は、技術そのもの以上に、
安全の本質が「仕組み」にあることに気づいていく。
危険を予測し、手順を標準化し、
誰が作業しても同じ安全レベルを保つ。
安全とは、そうした仕組みを積み重ねていくことだった。
さらに国際資格「IRATA」の講習にも参加した。
そして、かつて「絶対にやりたくない」と思っていた仕事は、
気づけば、さまざまな可能性を扱う仕事へと変わっていった。
やがて谷口は、大きな変化の時を迎えていく。
職人から、管理する立場への転換である。
第5章 自分がいなくても、現場は回る──その意味を知った日
会社が成長するのと歩調を合わせるように、谷口の役割も少しずつ変わっていった。
現地調査に行き、見積もりをつくる。
お客様と打ち合わせを重ねる。
受注後は協力会社との調整を行い、ときには自ら現場にも立つ。
気づけば、職人として作業するだけではなく、現場全体を動かす立場になっていた。
そんな頃、大規模なロープアクセス工事を担当することになる。
住民が生活する建物での工事だった。
工事期間は半年近くに及ぶ。
生活空間の中で工事を進めるため、進め方や安全管理には細かな配慮が求められた。
当時はまだ分業体制も十分ではなく、その多くを谷口が一人で担っていた。
「自分がやらなきゃ」という意識は強かった。
大切な現場だから。
難しい現場だから。
自分が一番分かっているから。
任せるより、自分でやった方が早いーーそう考えていた。
やがて仕事は積み重なり、自分でも抱えきれない量になっていく。
心にも体にも余裕がなくなっていった。
そしてある日、体が動かなくなり、1か月ほど仕事を休むことになる。
悔しさと同時に、強い無力感があった。
自分がいなければ現場は回らない、そう信じていたからだ。
ところが休んでいる間も、現場は止まらなかった。
自分がいない穴を埋めるように、仲間たちは役割を分担しながら現場を進めていった。
工事は予定どおり進み、無事に完工する。
その事実に、谷口自身が驚いた。「自分がいなくても、現場は回るんだ」
もちろん、自分にしかできない仕事はある。
しかし、任せられる仕事は任せればいい。
それは責任を放棄することではない。
仲間を信じることだった。
管理職の役割は、自分一人で現場を回すことではない。
チーム全体が力を発揮できる状態をつくることだ。
谷口は、そのことを身をもって知った。

第6章 今度は、信じて任せる番だ
今、谷口が見ているのは、一つの現場ではない。
全国に広がるロープアクセス工事の安全基準をどう守るか。
経験の浅い職人へ、技術と考え方をどう伝えるか。
事故を起こさないためのルールを考え、現場へ足を運び、
「なぜ必要なのか」を繰り返し伝える。
かつて「やりたくない」と思っていたロープアクセスは、
今では谷口自身が最も力を注ぐ分野になった。
工事部長となった今、現場を一人でこなすだけでは仕事は成り立たない。
現場を任せられる人を増やし、
誰が担当しても安全で品質の高い工事ができる体制をつくること。
それが自分の役割だと考えている。
谷口は言う。
「失敗は、繰り返さなければ経験になる。」
若い頃、何度も失敗した。怒られた。落ち込んだ。
それでも仕事を任せてもらえた。
信じて任せ続けてもらえたからこそ、今の自分がある。
だから今度は、自分が任せる番だ。
人は、任されることで育つ。





