
2026年8月21日 更新
この記事で答える質問:大規模修繕でいちばん苦情が出る「臭い」は、どの工程から出ているのか。そして、それは技術と段取りでどこまで減らせるのか。
大規模修繕の説明会をやると、必ず出る質問があります。工事費でも工期でもありません。「臭いは、どのくらい続きますか」です。
小さなお子さんがいる、在宅で仕事をしている、ペットがいる、化学物質過敏症の傾向がある——理由はさまざまですが、住みながらの工事で居住者が最も敏感なのは、足場でも音でもなく臭いだと、私は現場で感じています。そして正直に申し上げると、この質問に対して業界は長いあいだ「窓を閉めてください」以上の答えを持っていませんでした。
その状況が、いま二方向から変わり始めています。ひとつは材料メーカー側の技術、もうひとつは法律です。2026年8月19日、シーリング工事に使うプライマー(下塗り材)の水性タイプが発表されました。そして2026年4月、職場の化学物質管理は「国が名指しした物質だけを守る」やり方から「事業者が自分で評価して管理する」やり方へと、対象範囲を大きく広げたところです。
今日は、この二つが管理組合・オーナーの皆さまにとって何を意味するのかを、現場の言葉で整理します。
結論:臭いは「我慢するもの」から「仕様で選べるもの」に変わりつつあります
先に結論から申し上げます。
- 大規模修繕で最も強く臭う工程のひとつは、シーリング打ち替えの「プライマー塗布」です。 目地の中を洗って接着剤の下地を作る工程で、従来品の多くは有機溶剤を含みます。塗装の臭いだと思われている臭いの一部は、実はここから出ています。
- 2026年8月19日、サンスター技研が1液タイプの建築用シーリング材向け水性プライマー「プライマーWC-1」を発表しました。同社は「日本初」(同社注記付き)としており、化学物質規制の強化を背景に、居住者・施工者双方の安全性と作業性の向上を目的に掲げています(出典:サンスター技研プレスリリース(2026年8月19日)、日本経済新聞(プレスリリース掲載))。
- 法律の側でも、2026年は節目の年です。化学物質の「自律的な管理」の中核的なルール自体は2024年4月に施行済みですが、その対象範囲がいまも広がり続けています。リスクアセスメント対象物は2026年4月に約2,900物質へ拡大し(出典:厚生労働省 特設サイト「ケミガイド」)、濃度基準値の適用対象物質は2026年10月1日に追加、ラベル表示・SDS交付の義務対象物質は2027年4月1日・2028年4月1日にも段階的に拡大します(出典:厚生労働省「化学物質による労働災害防止のための新たな規制について」)。
- したがって、管理組合・オーナーが見積書で確認すべき項目が増えました。「どのプライマーを使うか」「化学物質管理者は誰か」は、もはやマニアックな質問ではなく、工期と苦情件数、そして最終的な費用に跳ね返る質問です。
| 論点 | 従来 | 2026年以降 | 発注者側で動かせるか |
|---|---|---|---|
| プライマーの臭い | 溶剤系が主流。「換気してください」で対応 | 水性タイプの選択肢が登場 | ○ 仕様で指定できる |
| 化学物質の管理 | 特化則・有機則など個別規制の対象物質のみ | リスクアセスメントに基づく自律的管理へ | △ 業者の体制を確認できる |
| 濃度基準値 | 一部物質のみ | 2026年10月1日に対象物質を追加 | ✕ 直接は動かせない |
| ラベル・SDS義務 | 順次拡大中 | 2027年4月・2028年4月にさらに拡大 | ✕ 直接は動かせない |
| 臭気の広がり方 | 足場+メッシュシートで建物を包む | 工法で開口部の塞がり方が変わる | ○ 工法で変えられる |
何が起きたのか:2026年8月19日、シーリング用の水性プライマーが発表されました
2026年8月19日、シーリング材メーカーのサンスター技研が、建築用シーリング材向けの水性プライマー「プライマーWC-1」を発売すると発表しました。同社の発表によれば、1液タイプの建築用シーリング材向け水性プライマーとしては日本初(同社注記)で、化学物質規制が強化されるなか、シーリング防水工事における安全性・作業性の向上等を目的とした製品です(出典:サンスター技研プレスリリース)。
私はまだこの製品を実際の現場で使っていません。ですので、性能について「良い」とも「悪い」とも申し上げません。接着性能・可使時間・下地適合性・気温や湿度への依存度といった実務上の勘所は、カタログではなく現場でしか分からない部分が大きいからです。発売直後の材料を、居住者がいるマンションの本設工事にいきなり全面採用するのは、私は勧めません。
それでも、この発表を今日の記事に選んだ理由があります。「シーリングのプライマーが臭う」という、業界の中では当たり前すぎて誰も表立って言わなかった課題に、材料メーカーが正面から手を付けたという事実に意味があるからです。そして同社が背景として挙げているのが「化学物質規制の強化」であることが、この記事の後半につながります。
そもそもプライマーとは何か——シーリング工事で最も臭う工程
ここは専門用語が続くので、丁寧にいきます。
マンションやビルの外壁には、必ず「目地」があります。コンクリートの打ち継ぎ部、サッシまわり、タイルの伸縮目地、外壁パネルのつなぎ目。ここにゴム状の材料を充填して雨水の侵入を止めているのがシーリング(コーキング)です。
シーリングは紫外線と建物の動きに常時さらされるため、おおむね10年前後で硬化・ひび割れ・剥離が進みます。だから大規模修繕ではシーリングの打ち替えが必ず工事項目に入ります。順番はこうです。
- 撤去:カッターで既存シーリングを切り、目地から掻き出す
- 清掃:目地の中の粉塵・旧材の残りを取り除く
- バックアップ材/ボンドブレーカー:適正な断面形状を作るための下地処理
- マスキング:目地の両脇に養生テープを貼る
- プライマー塗布 ←★ここが最も臭う工程
- シーリング充填・ヘラ均し
- テープ撤去・清掃
プライマーは、目地の内壁とシーリング材を確実に接着させるための下塗り材です。ごく薄く塗るだけの、量にすれば全工程のごく一部にすぎない材料ですが、溶剤系のものは引火性があり、有機溶剤を含みます。刷毛で塗った瞬間に揮発するので、量のわりに臭気の立ち上がりが速い。しかもサッシまわりの目地は窓のすぐ横です。居住者の鼻から数十センチのところで施工していることになります。
「外壁塗装の臭い」だと思われている臭いの一部が、実はこのプライマーだった、というのは現場ではよくある話です。ここが水性に置き換わる可能性が出てきた、というのが今回のニュースの意味です。
なお、シーリング材そのものにも種類があり、変成シリコーン系・ポリウレタン系・シリコーン系などで臭気の性質が違います。「臭いを減らしたい」というご要望は、プライマーとシーリング材の両方を含めて相談すべき、というのが実務上の要点です。
法律の側で起きていること:化学物質管理は「自律的管理」へ
ここからが、実は管理組合・オーナーにとってより重要な話です。
厚生労働省は、労働安全衛生規則等を改正し、化学物質による労働災害を防ぐための新しい仕組みを導入しました(労働安全衛生規則等の一部を改正する省令/令和4年厚生労働省令第91号、令和4年5月31日公布)。厚労省はその趣旨をこう説明しています。
化学物質による休業4日以上の労働災害(がん等の遅発性疾病を除く。)の原因となった化学物質の多くは、化学物質関係の特別規則※の規制の対象外となっています。
※ 特定化学物質障害予防規則、有機溶剤中毒予防規則、鉛中毒予防規則、四アルキル鉛中毒予防規則
(出典:厚生労働省「化学物質による労働災害防止のための新たな規制について」)
つまり、「国が名指しで規制した物質だけ守っていれば安全」という前提が、実態と合わなくなっていたということです。そこで制度は、事業者自身がリスクアセスメント(危険性・有害性の評価)を行い、その結果に基づいてばく露を防ぐ措置を選んで実施する、という方向へ移りました。これが「自律的管理」です。
主な柱を、発注者の視点で読み替えると次のようになります。
| 制度の柱 | 中身 | 発注者から見た意味 |
|---|---|---|
| 化学物質管理者の選任 | リスクアセスメント対象物を製造・取扱い・譲渡提供する事業場ごとに選任し、技術的事項を担当させる | 「この現場の化学物質管理者はどなたですか」と聞ける |
| SDSによる情報伝達の強化 | 通知事項である「人体に及ぼす作用」の定期的な確認・見直し、通知事項の拡充 | SDSの提出を求められる |
| ばく露の最小限度化・濃度基準 | 事業者が選択した措置でばく露を最小限にする。一部物質は厚生労働大臣が定める濃度基準以下に | 屋外作業でも「換気・風向・立入制限」の計画が要る |
| 保護具の適切な使用 | 皮膚または眼に障害を与える化学物質を扱う際、労働者に適切な保護具を使用させる | 手袋・保護眼鏡の運用が現場で見える |
| 衛生委員会でのモニタリング | 自律的管理の実施状況を調査審議することを義務付け(衛生委員会の設置義務は常時50人以上の事業場) | 一定規模以上の会社では体制の有無が分かる |
| 雇入れ時教育の拡大 | 非工業的業種で一部免除されていた教育項目を全業種で実施義務に(建設業はもともと全項目が義務) | 建設業では中身は変わらない。他業種との差がなくなった |
(出典:厚生労働省「化学物質による労働災害防止のための新たな規制について」)
建設業向けには、建設業労働災害防止協会が「建設業における化学物質取扱い作業リスク管理マニュアル」を公開しています。厚労省も特設サイト「ケミガイド」で背景と災害事例を公開しています。発注者側の方が読んでも十分理解できる内容ですので、業者選定の物差しを持ちたい方には一読をお勧めします。
これから効いてくる3つの期日:2026年10月・2027年4月・2028年4月
「もう施行済みの話でしょう」と思われるかもしれません。違います。この制度は段階的に対象範囲が広がり続けており、いまも拡大の途中です。厚生労働省が公表している一覧から、これから効いてくる期日を整理します。
| 時期 | 何が変わるか |
|---|---|
| (2026年4月1日・実施済み) | リスクアセスメント対象物が約2,900物質に拡大。従来の個別規制で名指しされていた物質の数を大きく超える範囲が、事業者による評価・管理の対象に |
| 2026年10月1日 | 厚生労働大臣が定める濃度基準値の適用対象物質が追加される(厚労省公表の一覧に令和8年10月1日適用分が明記) |
| 2027年4月1日 | ラベル表示・SDS交付等の義務対象物質が追加。あわせて皮膚等障害化学物質(不浸透性の保護具等の使用義務物質)も追加 |
| 2028年4月1日 | ラベル表示・SDS交付等の義務対象物質がさらに追加(令和8年3月31日公布の改正政令・改正省令に基づく) |
(出典:厚生労働省「化学物質による労働災害防止のための新たな規制について」対象物質の一覧)
ここから何が読めるか。建設現場で使う塗料・シーリング材・プライマー・洗浄剤・接着剤は、今後さらに「管理対象」に入っていくということです。管理対象になるということは、SDSの整備、保護具の選定、教育、記録という手間が増えるということでもあります。
私は、この流れ自体は正しいと考えています。職人の健康が守られない業界に、若い人は入ってきません。担い手不足の話をしながら現場の有機溶剤を放置する、というのは筋が通らない。ただ同時に、この手間はコストです。そして材料メーカーが水性化に動く経済的な理由も、まさにここにあります。規制が強まるほど、溶剤を使わない材料の相対的な価値が上がるからです。
管理組合・オーナーにとって、これは「他人ごと」ではありません
「労働安全衛生法は業者の話であって、うちには関係ない」——半分は正しく、半分は違います。化学物質管理の個別の措置義務が、発注者に直接かかるわけではありません。ただし労働安全衛生法第3条第3項は、建設工事の注文者等に対して「施工方法、工期等について、安全で衛生的な作業の遂行をそこなうおそれのある条件を附さないように配慮しなければならない」と定めています。無理な工期を押し付けないことは、発注者側の配慮事項です。
そのうえで、次の3つの経路で、確実に発注者側に跳ね返ります。
経路① 苦情と工期。臭気の苦情が出ると、工事は止まります。私の経験では、苦情が出た後の対応は「作業時間帯の変更」「工区の組み替え」「再告知」の三点セットになり、工程は素直に後ろへずれます。工期が延びれば、仮設の借上げ期間も延びます。
経路② 費用。保護具、換気、教育、記録。これらは今後、間接費として見積に反映されていきます。いま極端に安い見積が出てきたら、それはこの部分を織り込んでいない可能性があると、私は考えています。
経路③ 信頼と資産価値。住みながらの工事で居住者の生活に配慮できたかどうかは、次の総会、次の工事、そして賃貸物件であれば入居者の定着に効いてきます。ここは数字にしにくいのですが、長い目で見れば最も大きいと感じています。
居住者の生活影響を減らす、現場で実際に効く4つの実務
材料が変わるのを待つ必要はありません。いまの材料のままでも、段取りで臭気の影響はかなり減らせます。私が現場で標準にしている4つを挙げます。
① 工区を細かく割り、同じ面を一気にやらない。目地の総延長は長いので、つい効率優先で一面まとめて施工したくなります。しかし住みながらの現場では、縦一列(同じ間取りが並ぶスタック)を一日で終える割り方のほうが、結果的に苦情が少ない。「今日はうちの列」という予測可能性が生まれるからです。
② 時間帯を居住者の生活に合わせる。在宅率が下がる平日日中に臭気工程を寄せる。逆に、朝の洗濯物を干す時間帯と、夕方の窓を開ける時間帯は外す。当たり前に聞こえますが、工程表を書く段階で意識していないと実現しません。
③ 告知は「工程名」ではなく「体感」で書く。掲示に「シーリング打替工事」とだけ書いても、居住者には何も伝わりません。「この2日間、窓を閉めてください。接着剤に似た臭いがします」と書く。これだけで問い合わせの件数が変わります。
④ 材料の選択肢を、最初の見積段階でテーブルに載せる。低臭タイプ、水性タイプ、シーリング材の種類。着工後に「臭いが強いので変えてほしい」と言われても、材料変更は接着性能の再検討を伴うため簡単ではありません。選ぶなら仕様書を作る段階です。今回の水性プライマーのような新製品も、まずは限定的な範囲での試験施工から検討するのが現実的です。
「打ち替え」か「増し打ち」か——ここにも臭気と品質のトレードオフがあります
臭いを減らしたいというご要望から、しばしばこういう質問が出ます。「既存のシーリングを撤去せずに、上から重ねてもらえませんか。そのほうが臭いも工期も少ないのでは」。もっともな発想ですので、正面からお答えします。
打ち替え(撤去して新しく充填する)
既存のシーリングをカッターで切り取り、目地の中を清掃し、下地処理をしてから新しく充填する方法です。大規模修繕の標準はこちらです。理由は単純で、劣化した旧材を残したまま新材を載せると、旧材の劣化が新材の寿命を引っ張るからです。プライマーも目地の内壁に直接効かせられます。
一方で、撤去・清掃・プライマーという工程を全部踏むため、臭気も粉塵も工期も、増し打ちより大きくなります。
増し打ち(既存の上から重ねる)
既存シーリングを残し、その上に新しいシーリングを充填する方法です。撤去・清掃の工程が減るぶん工期は短く、粉塵も減ります。ただし、増し打ちでもプライマーは通常必要です。したがって臭気の低減効果は限定的で、「臭いを避けたいから増し打ち」という選び方は成立しません。そして何より、新材が接着する相手は「劣化した旧材」です。旧材が剥離すれば、その上の新材ごと浮きます。
私の考えを申し上げます。増し打ちが妥当なのは、目地の深さが不足していて撤去すると必要な断面が取れない場合や、サッシまわりで撤去が構造的に難しい場合など、技術的な理由があるときだけです。「安いから」「臭いから」を理由に選ぶものではありません。ここを妥協すると、10年後にもう一度足場を組むことになり、結局は高くつきます。
では、臭いを減らしたい場合はどうするか
答えは「工法の格を落とす」ことではなく、「材料を選び、段取りを設計する」ことです。前節の4つの実務と、この後の工法選択がその中身になります。品質を落とさずに臭気だけを下げる余地は、実際にかなり残っています。
工法の話:足場をかけるかどうかで、臭気の広がり方も変わります
ここは私の専門領域なので、少し踏み込みます。
一般的な大規模修繕では、建物の全面に仮設足場を組み、その外側をメッシュシートで覆います。飛散防止と落下防止のために必要な措置です。ただし、メッシュシートは建物を「包む」ので、外壁面と足場のあいだの通気は確実に悪くなります。ここは測定データを持って申し上げているわけではありませんが、シートを張った現場と張っていない現場では、臭気の抜け方が体感として明らかに違う、というのが私の現場実感です。
一方、ロープアクセス工法(無足場工法)は、屋上のアンカーから産業用ロープで作業員が降下して施工します。足場もメッシュシートもかけません。外壁面が常に外気にさらされているぶん、臭気は滞留しにくいと考えています。加えて、足場がないぶん施工箇所が「点」で移動するので、同時に影響を受ける住戸の数が少ない。ここは推論ではなく、工程表の上で数えられる事実です。
技術的な背景や適用範囲については、ロープアクセスドットコムで工法別の解説を公開していますので、詳しく知りたい方はそちらもご覧ください。
もうひとつ、意外に見落とされる利点があります。足場は防犯上の理由から、工事期間中ずっと窓を閉め切る必要が生じやすいという点です。ロープアクセスなら、作業していない日と時間帯は普通に窓を開けられます。夏場の工事では、これが体感としてかなり大きい。
さらに費用面では、仮設足場は建物の性能を1ミリも上げない費用です。この点は昨日の記事「大規模修繕の資金は「金利」で目減りする時代へ」でも触れましたが、借入前提の資金計画では、借りる額そのものを小さくするという発想が効いてきます。
ただし、ロープアクセスが向かない建物もあります
両論併記でお伝えします。ロープアクセス工法は万能ではありません。次の条件では、足場のほうが合理的です。
- 屋上に安全に支点(アンカー)を取れない建物。構造上の確認ができない場合、私たちはお請けしません。
- 外壁の広い面積で下地補修が必要な建物。タイルの浮きが大規模に出ている、爆裂が多数ある、といったケースでは、作業効率で足場が上回ります。
- バルコニー内部やアルコーブなど、ロープでは物理的に届かない部位が多い建物。
- 上部に大きな庇や大型の設備架台が張り出していて、降下ラインが確保できない建物。
現実に多いのは、部位ごとに使い分けるハイブリッド工法です。バルコニー側や下層階は足場、外周の妻面や高層部はロープアクセス、という組み方をすると、仮設費と工期の両方でバランスが取れることが少なくありません。臭気の観点でも、足場をかける面積が減れば滞留する面積も減ります。
どの工法が合うかは、図面と現地を見ないと判断できません。「うちはロープアクセスでやりましょう」と現地を見る前に言う会社があったら、それは疑ってください。これは自戒を込めて申し上げます。
ホテル・テナントビルの場合:「営業を止めない」ことと化学物質管理
分譲マンションとは事情が違うのが、稼働中のホテルとテナントビルです。ここでは臭気は「苦情」ではなく、直接の減収になります。客室から臭いがすれば、その部屋は売れません。
この場合の実務は、マンションとは順序が逆になります。
- 先に「止められない部屋・区画・時間帯」を確定する(宴会場の予約、繁忙期、テナントの営業時間)
- その制約のなかで施工可能な窓(時間と面積)を逆算する
- その窓に収まる工法と材料を選ぶ
足場を全面にかけると、外観と眺望が数か月にわたって損なわれます。ロープアクセスは、施工していない面を「営業できる状態」で残せるという点で、稼働中施設との相性が良い。「明日はこの面、明後日はこの面」と面単位で切り替えられるためです。
なお、稼働中の施設ではオーナー側の責任も重くなります。看板や外装材の落下といった管理責任については、以前の記事「看板の安全点検義務とオーナー責任」でも整理しています。
見積書と仕様書、ここを見てください
長い記事になりましたので、実際に使える形にまとめます。次の総会や業者ヒアリングで、そのまま聞いていただける5項目です。
① 「シーリングのプライマーは、溶剤系ですか、水性ですか」
即答できるかどうかで、その会社が材料まで把握しているかが分かります。「メーカーに確認します」で構いません。「そんなことは気にしなくていい」と言われたら、そこは考えどころです。
② 「使用する材料のSDSを提出していただけますか」
SDS(安全データシート)は、化学物質の危険性・有害性の情報をまとめた文書です。制度上、通知事項の拡充と定期的な見直しが求められています。出せない会社は、まずありません。出し渋る場合は理由を聞いてください。
③ 「この現場の化学物質管理者はどなたですか」
リスクアセスメント対象物を取り扱う事業場ごとに選任が求められている役割です。名前が出てくるかどうかが、体制の有無を測る素直な物差しになります。
④ 「臭気工程の日程と時間帯を、事前に掲示していただけますか」
掲示の文面まで含めて確認してください。前述のとおり、「工程名」ではなく「体感」で書いてもらうのがコツです。
⑤ 「仮設足場費は総額のいくらで、代替工法での比較見積は可能ですか」
臭気・防犯・費用のすべてに効く質問です。比較の土俵に乗せてもらうこと自体に意味があります。無足場工法の考え方はこちらでも整理しています。
よくある質問(FAQ)
Q1. シーリング工事の臭いは、何日くらい続きますか。
A. 建物規模と工区の割り方によりますが、特定の住戸が臭気の影響を受ける期間は、通常は数日程度です。目地の総延長が長い建物でも、一つの住戸まわりを施工する期間自体は限られます。工事全体の期間と、ご自宅が影響を受ける期間は別物ですので、工程表では「自分の住戸がいつか」を確認してください。
Q2. 水性プライマーなら、まったく臭わないのですか。
A. 「無臭」と「低臭」は違います。水性化によって有機溶剤に由来する臭気は大きく下げられますが、シーリング材本体からの臭気は残ります。また、今回発表された製品は発売直後で、私自身まだ実績を持ちません。カタログ値ではなく、施工実績が積み上がってから判断するのが安全だと考えています。
Q3. 化学物質過敏症の居住者がいる場合、どうすればよいですか。
A. 設計・仕様を決める段階で必ず共有してください。着工後では選べる手段が減ります。材料の選定、工区割り、施工時間帯、事前告知の方法、必要に応じて一時的な避難のご相談まで、打てる手はいくつもあります。ただし医学的な判断は医療機関の領域です。私たちができるのはばく露を減らす段取りまでです。
Q4. 「低臭タイプ」を指定すると、工事費は上がりますか。
A. 材料単価としては上がる場合があります。ただし、苦情対応による工程の遅延と仮設借上げ期間の延長を含めた総額で比較すると、必ずしも高くつくとは限りません。判断材料として、材料費の差額を金額で出してもらってください。
Q5. うちの建物はロープアクセスでできますか。
A. 図面と現地を確認しないと分かりません。判断材料は、屋上の支点が取れるか、下地補修の量がどのくらいか、降下ラインを塞ぐ張り出しがあるか、の3点が中心です。部分的にロープ、残りは足場というハイブリッドが現実解になることが多いというのが、私の実感です。
この記事のポイントまとめ
- 大規模修繕で最も臭う工程のひとつは、シーリング打ち替えのプライマー塗布である
- 2026年8月19日、サンスター技研が1液タイプのシーリング材向け水性プライマーを発表(同社は「日本初」と注記)
- 背景には化学物質規制の強化があり、リスクアセスメント対象物は2026年4月に約2,900物質へ拡大済み
- 2026年10月1日に濃度基準値の対象物質が追加、2027年4月・2028年4月にラベル・SDS義務対象がさらに拡大
- 発注者に直接の義務はないが、苦情・工期・費用・信頼という4つの経路で確実に跳ね返る
- 段取りで効くのは、工区割り・時間帯・「体感」で書く告知・材料選定を仕様段階で行うことの4つ
- メッシュシートで包む足場は臭気が滞留しやすく、ロープアクセスは拡散しやすい。ただし向かない建物も明確に存在する
- 見積・仕様の確認は5項目(プライマーの種類/SDS提出/化学物質管理者/臭気工程の掲示/仮設費と比較見積)
おわりに
私は、この業界の「当たり前」がひとつ崩れる瞬間を見た気がしています。シーリングのプライマーが臭うのは仕方がない、というのは、ついこのあいだまで疑う人がいない前提でした。それが、法律が変わり、メーカーが動き、選択肢が生まれつつある。
もちろん、新しい材料がすぐに現場の標準になるわけではありません。私自身、実績のない材料を居住者のいる建物にいきなり使うことはしません。それでも、「臭いは我慢するもの」から「仕様で選べるもの」へという方向に進んでいることは、はっきりお伝えしておきたいと思いました。
大規模修繕は、建物を直す工事であると同時に、そこで暮らす人と働く人の日常のなかで行う工事です。私にできるのは、その日常への影響をできるだけ小さくする段取りを、事前に一緒に設計することだけです。
工事のご発注が決まっていなくても構いません。仕様書に何を書けばよいか、居住者への告知をどう組むか。その段階のご相談だけでも、お力になれることがあります。お問合せフォームから遠慮なくお声がけください。
これは私が現場で20年見てきた、嘘偽りのない感想です。次回も、現場で本当に使える話だけをお届けします。
執筆者:本間 幸紘(株式会社明誠 代表取締役)
専門領域:マンション大規模修繕/ロープアクセス工法/建物長寿命化計画
実務経験:建設・改修業界 20年以上
所属:一般社団法人 全国建設業支援協会(JCSA)
株式会社明誠について:東京都小平市を拠点に、東京・関東一円でロープアクセス工法と従来足場工法の両方を提案できる改修会社。日本初のロープアクセス工事フランチャイズを展開しています。
最終更新:2026年8月21日
※本記事は制度・材料・工法の一般的な解説であり、個別の建物に対する設計・医学的助言ではありません。法令および対象物質は変更・追加される可能性があります。適用の可否や最新の一覧は、必ず厚生労働省および各メーカーの公式情報でご確認ください。
出典・参考資料
- 厚生労働省「化学物質による労働災害防止のための新たな規制について」(労働安全衛生規則等の一部を改正する省令/令和4年厚生労働省令第91号ほか。対象物質一覧・濃度基準値一覧・皮膚等障害化学物質一覧を含む)
- 厚生労働省「労働安全衛生法の新たな化学物質規制」(制度概要リーフレット)
- 厚生労働省「職場における新たな化学物質管理規制 特設サイト(ケミガイド)」
- 建設業労働災害防止協会「建設業における化学物質取扱い作業リスク管理マニュアル」
- サンスター技研「シーリング工事の安全性向上に貢献する日本初の水性プライマーを新発売」(2026年8月19日)
- 日本経済新聞「サンスター技研、1液タイプの建築用シーリング材向け水性プライマー「プライマーWC-1」を発売」(2026年8月19日/プレスリリース掲載)
- ロープアクセスドットコム(ロープアクセス工法の技術解説)


